にゅーとらる。


by t01075ni
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book:少しは、恩返しができたかな

book:少しは、恩返しができたかな/北原 美貴子

北原和憲くんは、私の幼なじみの友だちです。
駒場東邦高校2年の時に癌と診断され、
闘病生活と受験勉強を並行した。
東大に受かり、その3ヵ月後に亡くなった。
という話だけは知っていた。
そして、すごく良い子だということも聞いていた。



駒場東邦高校・卓球部のエースが「ガン」に冒され、凄まじい闘病生活を送る。卓球部の仲間、担任の教師の支援の下、東大に合格。そして、東大入学3か月後に亡くなるまでの19歳の青春実話。


ここまで、窮地に陥ったと社会的に判断される時に
自身は窮地とは捉えず、むしろ周りにパワーを振りまく。
もちろん、不安を一番感じていたのは北原くん本人だろう。
心の葛藤がいたいほど伝わってくる。
それを前面に押し出しても仕方がない。
だったら、前向きに一瞬一瞬を楽しんでやろう。
ぐいぐいと生きる感覚が4年という歳月を越えて心に響いた。


死や病気やハンディキャップを題材にした作品でも、
いかにもそれを誇張して作られている場合には、
収益モデルとかお金が頭に浮かびいやらしい感じがしてしまう。
すると、それを素直に受け取れない自分がいる。

この作品はどうだろう。
まず、作品という括りに入ってしまうことで何かが違う。
編者の「同年代が自らの命を絶ったり、
他人の命を軽視したりすることを呼びかけたかった」
という気持ちは分かる。
ただ、何も手を加えずにそのままの方が
キレイだったのではないかと思ってしまう。

私は、少なからずこれを読んで純粋に涙が出たし
(みきてぃの授業中だったけど)
彼の生き方や強さを感じ、パワーももらった。
幼なじみがお見舞いに行った時の話も思い出して切なくもなった。

お母さんは未だにメールの届く彼の携帯を解約できずにいる。
インターネット上のgoogleのキャッシュで、故人となってしまった友人の
功績を知ることができたという人もいる。
私自身も、高校時代の亡くなった友人のアドレスはメモリーからは削除できない。
するつもりもない。

その人が、デジタル化されたデータにたしかに存在している。
不思議だがそのような感覚を持ってしまう。

普段、歩いている池のほとりの花束。
道路にお供えしてある花もよく目にする。
到達地点のないある人への気持ちをその場所に花としてあらわす。
伝えられない想いをモノに託す行為は仏壇やお墓が存在している所以だろう。

悲しんだり、涙を流す作品の存在理由は、
人間が喜怒哀楽のある生き物であるように
生きていく上で必要な要素のひとつなのだろう。
今の世の中が思いやりの欠けている人が増えている
という社会的な風潮も背中を押している感がある。
また、本当に悲しい体験はできれば避けたい。
けれども、その気持ちを擬似的に経験しておくという
自己防衛的な感覚もどこかしらにあるのだろう。

私は、24時間テレビのようなものは別として
作品には純粋に入り込んでしまうのタイプなのです。
が、こういうことを考えてみると人間の心理は
一筋縄ではいかないなと思ってしまうわけです。

2軸で話が進んでしまいましたが。
一瞬一瞬を大事に。精一杯。
その蓄積が一年になり、自分の一生となる。
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by t01075ni | 2005-06-01 23:15 | movie/book/art